スマイル行政書士事務所 代表 山中英資 (2021.8撮影)

プロフィール目次

第一章 中卒の、とある少年 アルバイトから正社員


プロフィールをご覧頂きありがとうございます。
最初に、いま、お読みいただいてるあなたとの「ご縁」に感謝して。
そこで、私のプロフィールをストーリーにしました。
お時間の許す限りお付き合いください。
最後までお読みいただければ、とてもハッピースマイルです。
では、はじまり、はじまり。


中学を出ただけのとある少年、その名は山中英資。
この名前、「ひでやす」とよぶ。
お小遣いを稼ぎたいありきたりの理由から新聞配達を始める。
無論、「新聞配達」と聞けば朝刊を連想するだろう。
しかし、朝刊をやる根性は持ち合わせていない少年(笑)
夕刊配達を選択することに。
新聞配達は配る部数で給料が決まるので当時日給で¥2,000くらいは稼いでいた。
時間はというと、2時間はかからず配っていた。
ということは、時給では¥1,000くらいなのか。
なんと効率的!
そして、夕刊と言えど日曜・祝日以外は毎日。
だからと言うわけではないが、毎日新聞で働いていた(笑)
自転車で配る日々。
その中で、燃える自分に気付く。何に燃えるのか?
それは、夕刊を配る職場の中で、一番に配り終えるということ。
このとき、知らず知らずのうちに購読者の方にいち早く夕刊を届けるサービスをしていたということになる。Good Job☆


「お客様第一主義を学ぶ」

夕刊の配達をしていた頃のエピソードがひとつ。
「なんと僕がイチローと呼ばれていた事実。」ギョギョ。
配達先での小さな子供から、中学生の女の子までもが。
嬉しかったなぁ~
横道にそれたのでストーリーの続き。
家が経済的に裕福でなかったこともあり、コンビニのバイトも始める。
最初は早朝の勤務だった。
今でも覚えている感覚がある。それは、初めてのお客さん。レジのとき手が震えた。
上がり症で緊張しいの自分。
女性のお客さんは特に苦手だった。ましてやタイプの女性や綺麗な女性が来ると赤面の日々。自意識過剰か自分、と突っ込みたくなる。
早朝の勤務を少しした後、時給が高い理由で夜勤で働くことに。
もちろん夕刊は続けたままで。
このとき思ったこと。
「夜のこの時間で世の中のみんなは、睡眠という充電をしているんだと思った。」
こんな日が1年弱続いたある日。
家計を助けたい、また自分の人生の一念発起のため正社員を目指すことに。
このとき20歳の山中英資。

551蓬莱時代

第二章 いざ正社員


正社員になるために、いざ職安へ。
当時はパソコン検索など無く、紙のファイルで探した思い出がある。
このとき、当然中卒。
学歴を問わない会社は少なかった。
その中で、関西では有名。某豚まんの製造販売の大手にご縁をいただく。
いざ入社。その前にエピソードがひとつ。
「円形脱毛を経験することに。」
散髪屋で言われた。緊張からなのかストレスからなのか…
勤務は神戸のデパートだった。
出来立てのアツアツ豚まんの箱詰めから一転冷たいアイスキャンデー売りまで。
もちろん対面の接客まで経験した。
「生きた接客を学んだ」
ココで経験者は語る。
いざ、豚まん作り。これがただ包むだけなのだが、難しいのなんの。
ネタとなる中身が上手く収まらず、はみ出てくる。
これでは蒸す以前の話。
一方、慣れたある日はガラス張りの向こうから子供のお客さんが作っている様子を見ていた。
包んだ豚まんをガラス面に置いてあげたら、すごく喜んでくれた。
僕も一緒に嬉しかった。
いつしか、一日の製造するもととなる材料の発注も担当し、良い品質の豚まんを作るために発注の適性量も考える日々。
豚まんの生地は発酵するもので、時間が経ちすぎると蒸した時に良い商品にならない。
なので、作る時間帯も計算して、効率の良いやり方を考えるようになる。
この中で、「効率主義を学んだ」
ある日。前店長が異動。
前店長の推薦で僕が店長に。
2ヶ月だけ頑張った。
当時の自分には仲間を指揮する力が無く店長は向いていないと感じた。
わずか2ヶ月。しかしである。
今となっては、わずかの期間だったが貴重な経験、そして体験であった。
全力だったからこそ、今の自分を支える経験であった。
豚まん製造販売会社の在籍時のエピソードをもう一つ。
サッカーの三浦和良選手。通称キングカズ
カズが京都サンガに移籍と聞き、弟と京都まで駆けつけた。
練習場でのひとコマ。
練習後カズは来ているファンにサインをしてくれる。
このときカズを間近に見た僕。
人からオーラが出ているのをこの目で見てしまった。
衝撃的だった。
豚まん製造販売会社で3年2ヶ月在籍。
その後、青年となった彼。
山中英資は父親が司法書士をしていた影響を受け資格業を目指すこととなる。
このとき、司法書士より合格しやすいと聞いた行政書士を目指すことに!
合格しやすいとの理由だけの安易な決断が、後の彼を苦しめることに。。

第三章 正社員から資格を志す~またアルバイト

行政書士/宅建士


中学時代から父親の背中を見て育った山中英資は資格業を目指す思いが宿っていた。
ついにそのときが来た。
司法書士の前にまずは行政書士という青写真を描いていた。
24歳となった彼。

この年、受験一回目・・・
当時の彼女に振られ、集中力を欠き見事不合格。

受験二回目・・・

これではダメと意気込み頑張った。
しかし、前年の合格率がなんと19%。
この反動なのかこの年の合格率2%に。
聴くまでもなく不合格。

受験三回目・・・
  ~
受験五回目
勉強のやり方、試験に対する考え方、やる気、どれをとっても満ちていなかった。
もちろん全戦全敗。
この中でエピソードがあった。
27歳の彼。
バイトと受験勉強の日々。
しかし、人生最大のモテ期到来。
何人かの女性と出会う機会があった。もちろん勉強そっちのけ(笑)
本末転倒の結果不合格の苦汁を味わう始末。

ポスターの前で

受験六回目・・・
この年に新聞の広告欄だったと振り返る。
司法試験などの受験界のカリスマ伊藤真先生のご著書との出会いから勉強法なるものが存在することを知り、勉強法を見直した。
180点が合格の行政書士試験。178点で不合格。
不合格ながら手応えを感じた。
※この受験六回目の年に父親が癌で入院することとなる。
余命を宣告されるほどの状態であった。
家族みんなで癌と闘い、僕は父親に吉報を届ける戦いだった。

受験七回目・・・
父親が「大丈夫、心配していない。」といつもお見舞いに行ったときは声をかけてくれた。
父親は命がけで闘っている。
僕は自分の怠ける心との真剣勝負。勉強法の追及の日々。
行けると、合格できると確信して臨んだこの年だった。
しかしである。172点で不合格。8点届かない。
「やってしまった。」と心の中で叫んだ。正直、落胆した。
なぜか。

内心、父親の病状が悪くなるのが見て感じとれる状態であった。
生きてる間に合格報告できるのが最後かもしれない。
その思いで挑戦した七回目の試験だったからである。
七回目の試験の合格発表が2009年1月26日月曜日だった。
父親はきっと、いや絶対。
僕の合格発表を聞くために気力を振り絞って生きていた。
そのことを裏付ける出来事が。
僕が不合格だったことを伝えると、いつものように
「大丈夫、心配していない。」この言葉が返ってきた。
僕も、「大丈夫。次こそは合格するよ。」と交わした。
その数日後の2009年2月5日木曜日、父は息を引き取った。

受験八回目・・・
自分の中で勉強法を体得してきた感覚が宿る。
弟の薦めもあり、宅建と行政書士のW受験を志した。
この年、まずは宅建を初受験で合格。
引続き無事、行政書士も192点で合格できた。
不思議だった。
父親が亡くなった年の受験でW合格。
間違いなく父親の後押しがあった。
生前に報告できなかった残念な想いは残るが、「感謝の想い」で墓前報告をした。

第四章 いよいよ開業~現在

建設業許可 通知書写真

合格の後に、当時「ご縁」が無かった高校進学。
学歴コンプレックスもあり、また最低でも高校は出ておきたい思いがあり通信制高校に通うこととなった。
3年間で無事卒業を果たした。
その途中の話し。
行政書士を合格するのに苦労した自分。
また父と一緒に戦った行政書士試験。
いろんな想いが重なり、また安易に挑戦すべきでないと考え、父親と同じ司法書士への道は今は封印した。
「ご縁」があるならいつかトライするのか、それともしないのか…
このことは心の中で父親に相談しようと思う…

大阪の建設業許可窓口写真 

2012年3月1日木曜日
スマイル行政書士事務所 開業
いろいろな想いが詰まった行政書士。
道半ば。
今度はあなたとの「ご縁」に感謝して。
あなたのために全力で行政書士力発揮します!!
長文となったプロフィール。
最後までお読みいただきありがとうございます。
少しでも私なりが伝わればハッピースマイルです。
スマイル行政書士事務所なだけにスマイル(笑)
行政書士 山中英資

P.S.平成29年7月21日現在

「建設業許可申請専門の行政書士を目指し日々奮闘中!」
開業当初は想像もしなかった建設業許可をメイン業務にし、現在では新規申請・更新申請・決算変更届・各種変更届・経審(経営状況分析申請・経営規模等評価申請)・入札参加資格申請など建設業許可申請にまつわる多くの手続きをさせていただいています。
これからも今まで以上に、建設業者さんのビジネスパートナーとして、建設業者さんのビジネスの発展に寄与していきたいと思います。

宝塚土木事務所

P.S. 令和3年8月27日現在

「引き続き、建設業許可申請専門行政書士を突っ走り続ける日々!」
4年前に追記しているが、今読み返すと懐かしい。
平成から令和へと元号が変わったが、自身の目標は変えずに建設業許可申請専門の行政書士を獲得すべく、日々歩んでいる。
当時では経験していなかった、
大臣許可申請や知事許可から大臣許可への許可換え新規申請、また遠方からのご依頼があったりと多くの経験が重なっている。
直近では、他の行政書士事務所で2度相談して、「申請できない。」「許可は下りない。」と断られた案件について、無事に許可を取得できたケースに携わったりまだまだ勉強することも数多くあるが、一方で建設業者さんのサポートをさせていただいていることに喜びを感じている。
これからもさらに成長し経験し、多くの建設業者さんに知識やノウハウを還元できるようにまだまだ歩み続けます。

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建設業許可申請に関するお申し込みお問い合わせはこちらのフォームからお願いいたします。

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